数年前、高校時代の友人に誘われてプロレス観戦に行きました。
会場は、酒屋さんの倉庫に設置された特設リングです。
酒屋でプロレス。プロレスに詳しくない私にとってそれはけっこうな衝撃だったんですが、個人商店らしき酒屋でプロレスの興行やるのって、酒屋界あるいはプロレス界では一般的なことなんでしょうか?
お店に前売り券を買いに行くと、感じの良い黒縁眼鏡のお兄さんがいて「うちでプロレス見るの初めてですか?」というので「はい」と答えました。
「うちのは普通のプロレスとちょっと違うかもなんで、汚れてもいい格好で来てください。水とかかかっちゃうから、濡れてもいい格好で(笑)」
「あとメインイベントはもう座席なんてあってないようなもんですから(笑)」
めっちゃハードル上げてくるやん…
(前提の、普通のプロレスがどんなんかも知らんけどな…)
私の手札でもっとも汚れてもどうでもいい1着、会社の創立70周年記念で作ったTシャツを着て行くことにしました。これいつ着りゃいいの?てずっと謎だったけど、やっと正解見つけた。酒屋のプロレス興行に着て行けばいいんだ!
当日、早く着いたので、始まるまで会場の敷地で売っていたカレーを食べながら待つことにしました。700円のレトルトカレー。たっか(高)、と思ったけれど、友人は「いやこれドラゲーだったら千円やで?良心価格!浮いたお金でバラモンの水(200円)買お!」と喜んでいました。ノリの悪い私は自販機で普通のミネラルウォーター(90円)を買いました。カレーはめちゃめちゃレトルトでした。でも外で食べるレトルトカレー、美味しい。
試合が始まり、なんとなしにリングにスマホを向けて撮影してみると、「ハシモトシンヤの息子」と友人が私の耳元で囁きました。「そーなの?」と返事すると、「なんだ、知ってて写真撮ったんちゃうの?」と言われました。知らんし、実はハシモトシンヤも知らん。(ごめん)
突如会場がじぇっ、じぇっ、じぇっ、みたいな掛け声を始めたので、ぎょっとしました。
おそるおそる友人の方を見ると、彼女は口を半開きにしたままぼーっとしていたので、安心して私もぼーっとしていました。
やがて歓声は、おいっ、おいっ、おいっ、みたいな大合唱になりました。やべえ、と思ってもう一度彼女の方を見ると、今度こそ彼女も拳突き上げておいおい言ってたので、いよいよやべえ、と思いつつも私はずっと俯いたままでした。
同調圧力さえも跳ね返す私の強固な羞恥心。なんて邪魔なんだろう。率先しておいっおいっ叫んじゃう、そんな私にいつかなれたらいいな。
前半戦が終了し、20分間の休憩を挟んだので、友人に「トイレに行ってくる」と言って会場を出ました。
トイレはどこだろうときょろきょろしていると、先ほどのデスマッチでふらふらになった選手が「ううう…」と呻きながらよたよたと私に接近してきました。へ、平気かな、と心配して見ていたら、彼はにゅっと手を伸ばしました。どうやら握手してくれるつもりらしい。ファン側(私)から求められてもいないのに。自分発信で。なんというサービス精神。あと役者魂。ちょっと感動して、名前も知らない半裸のおじさんとぶんぶん握手しました。
会場に戻って友人にその話をすると、彼は(たぶん)「血みどろブラザーズ」の人だそうです。たしかに血みどろでした。
休憩が明けて早々、大歓声に包まれて登場した双子のレスラーは、信じられない量の水を口から噴射していました。
水を含んでは吐き、含んでは吐き、後半はバケツの水を直に客席に向かってぶちまけていたので、ああ確かにこりゃずぶ濡れだわ、と納得しました。(はっ、バラモンの水…!この人たちがバラモンなのか、繋がった!)
そんなこんなであっという間のメインイベント。
「メインイベントはもう座席なんてあってないようなもんですから」というか、座席は開始直前に係員の人たちが撤去してしまい、ちゃんとなくなりました。(え~、立つの疲れるから座ってたいんだけどなぁ~)
座席を全部どけてビール箱を積み上げて作った即席タワーを、乱入してきた軽トラックと軽ワゴン車が突き破ります。崩れ落ちるビール箱タワー。熱狂する会場。そこから先はずっと、もはやプロレスなのか何なのか、レスラー達がよってたかってパイプ椅子で車を破壊し続けていました。なんだこれ。
ただ、この、軽自動車2台の乱入…
こういうこと言うの野暮なんだろうけど、乱入、と呼ぶには、安全運転。お散歩みたいな速度で、ゆっくりと進入してきました。
そして、レスラーの皆様は軽自動車2台のボディやらフロントガラスやらを執拗に叩き割った後に車をひっくり返して雄叫ぶんだけど、彼らもまた、ひっくり返す際には、そーっと、そーっと、慎重にやっているように見えました。
万一にも観客に危害が及ばないよう。細心の注意を払って。
さらには先ほどやりたい放題大量の水を噴いていた双子レスラーの片割れの人が「危ないからもっと下がって!下がって!」と険しい顔で観客を制していて、ちょっときゅんとしました。
そうだ、自由は、ルールという制約の中にこそ生まれるのだ。
そしてたったいまこの瞬間の会場の一体感、熱狂もまた、秩序のもとに成立しているんだ。
ラストには、あの感じのよい黒縁眼鏡のお兄さん(酒屋の社長らしい)がなぜかリング上に引っ張り上げられ、バリカンで頭を刈られていました。なるほどこれも良いチョイスだ。派手なパフォーマンスに会場は大盛り上がりなうえに、散髪なら痛みはない。そして髪はまたすぐ伸びる。
「じぇっじぇっ」も「おいっおいっ」も言えずに顔を赤らめていただけの私ですが、内心はすごく楽しかったです。
試合後カフェで友人と「楽しかったね」「また行きたい」と感想を言い合いました。
水まじで大量にぶちまけてたね、と興奮気味に私が言うと、友人は、昔「ドラゲー(DRAGONGATE)」という別のプロレス団体が水じゃなくてパイナップルの汁を客席にまき散らしたことがあったけどクレームで即なくなった、と教えてくれました。こんな時代だもんね、と笑うその表情は、どこか寂しそうに見えました。でもまあ確かにパイナップルは地味に嫌かもな。
彼女はプロレス全般好きなんだろうけれど、本当はドラゲーが一番好きで、その中でも推しは「クネス」という選手なのだそうです。
「超絶イケメンなんよー!」と言うのでどれほどのもんかと検索してみたら、まさかの覆面レスラーでした。
生で試合を観戦し、レスラーの方々のサービス精神と日々の努力は、一社会人として本当に学ぶべきところが多いと感じました。
あのショーを事故なく安全にやり遂げるために、彼らは日々どれほど鍛錬を積んでいるのだろう。そして観客を楽しませるために、日々どれほど構成を練っているのだろう。
試合中、暴れまくりながらも各コーナーでいい感じのポーズをとったまま数秒静止して、シャッターチャンスを何度も作ってくれるファンサービス。
にわかの私にもきっちりグッズを売りつけるトークスキル(タオルとニット帽とシートマスクを購入しちゃった)。
それにパイナップルの汁だって、批判するのは簡単だけど、会場にまき散らす量を準備するのはなかなかに地道な作業に違いありません。
それから、あの酒屋の若い社長。
きっと彼は、子どもの頃からプロレスが大好きだったんだろうな。
そしてかつて憧れだった存在と、いま、肩を並べて仕事をしている。
その道のりは、どんなものだったんだろう。
高校の同級生たちが進学して県外に出ていく中、「俺はこのちんけな町に残っておまえらの帰ってくる場所を守り続けるさ、そういう選択もありだろう?」つって、「家業を継ぐのは諦めじゃない、俺は俺のやり方で自分の人生切り開く、酒屋でてっぺん獲ってやるよ」みたいな青春期を過ごしたんだろうか。
そして大人になり、都会で夢破れて帰ってくる者、サラリーマンを続けながら盆正月にのみ帰省してくる者、皆それぞれの事情を抱えながら、久々の同窓会で集まって近況報告をし合うこととなる。その宴席には、格安で振る舞われた彼の酒がある。
同級生たちは、彼を見て思うのだ。
なんだよ、こいつキラキラしやがって、外の世界に飛び出していったのは俺らだったはずなのに、気づけばおまえにおいてけぼり喰らってんのは俺らの方じゃないか、一番夢叶えたのは、実家の酒屋を継いだおまえじゃないか。
友への羨ましさとも嫉妬とも誇らしさともつかない感情を、彼らは酒と一緒に胃の奥に流し込む――。
……と、もはや言いがかりレベルの妄想。
実際のところどうなのかは知らん。知らんけど、これだけのことができるのはきっと、社長は良い仲間にも恵まれているのでしょう。
なのについつい同級生を自分自身に重ねてみたりなんかして、私に似た架空の鬱キャラクターをこしらえちゃう悪い癖。
ファンサービスができるのは、何もスポーツ選手やアイドルといった有名人だけじゃない。
仕事をしている社会人は誰しも皆その道のプロで、ファン(顧客)を獲得できるし、自分なりのファンサービスができるのです。
そして知らない誰かを楽しませることが、自分を楽しませることとイコールになり得るのかもしれません。
小さな田舎町の酒屋の、私よりずっと年下(たぶん)の若い社長に、そんなことを気付かされたのでした。
そういえば、大槻ケンヂさんが大昔著書の中で「プロレスを八百長って言うのはゴジラに向かってぬいぐるみと叫ぶようなもん」みたいなことを言っていました。
超名言じゃないですか。
酒屋プロレス、次回開催予定とかあるのかなと久々にサイトを探してみたら、今はもうやっていないようです。
あれからすぐコロナが始まったもんな…
そしてクネスさんも、もう引退されたんですね。