小・中・高の先生と比較して、大学の先生には、独特な人が多かった。
前者が一般社会で通用する常識人を育成する「教員」であるのに対し、後者は「研究者」だからなのだろうか。小中高にも個性的な先生はたくさんいたけれど、個性の、材質?手触り?みたいなんが違うというか、私の知る限り、大学の先生は、なんていうか……言い方あれだけど、「はみ出してる」感じの人が、わりとちらほらいたように思う。
中でも強烈に印象に残っている、若い(かつて若かった)助教授がいる。
村上春樹に心酔し、同じ大学の老いた教授を公然と罵り、心理学と銭湯をこよなく憎んだ男。
村上春樹の自宅を訪ねてご本人のものらしき自転車に一瞬だけまたがって逃走したとか、梶井基次郎に倣って紀伊國屋書店に平積みされている雑誌の上に檸檬の代わりにレンコンを置いて立ち去ったとか、同棲していた元カノに別れた直後に誰がどう見ても彼がモデルだとわかるダメ男を描いた『悪女論』という本を出版されたとか、武勇伝だか何なんだかよくわからない逸話を際限なく持つ男。
私が知る限り、もっとも「紙一重」な男。
ちなみに彼は私の在学中に、まあまあの劇場型な女性トラブルを起こして大学を去った。
彼の名前をネットで検索すると(名字入れただけでサジェスト機能てやつで下の名前出てきた!)、かつて追い出された(四流)大学よりよっぽど偏差値高い大学の教授になってるじゃない!!よかったね!!
にしても、当時は神経質風イケメンだったけど、年をとったな…(お互い様や)
生真面目な小室哲哉みたいな風貌になっとる。
…そしてもう一人、頭に浮かんだ人がいる。
学生の頃、私はその人のゼミにいた。
でもきっと、あの人はな、そんな有名じゃないよね…だって、全然フツウっぽかったもん…
フツウで、ボクトツで…
って思いながらその名を検索してみたら、名字入れただけで下の名前出てきたしAmazonで書籍も何冊も出てきたしWikipediaもあった。大学の先生ってすごいんですね、私舐めてましたごめんなさい。
『山形県生まれ、研究者、〇〇大学出身、専門は…、xxxx年 結婚、妻は…』
まさか先生の結婚をWikipediaで知ることになるとは。
アメリカだったかに留学していた当時の彼女と結婚したんだろうか?
山形県出身、の文字に、ああそういえば実家から送られてきたというさくらんぼを先生の研究室でごちそうになったことがあったな、と思い出した。
「キミらさくらんぼ食うー?」と箱から出したさくらんぼをざるで洗って、棚から皿を出して、はたと動作を止めて「なんで俺がかいがいしく全部やってんだよ、キミらも動けよ」と怒っていた。
あの時、私たち学生数人は、研究室で中原中也の研究発表の準備をしていたんだった。
ぶっちゃけ、中原中也の詩の良さなんてまったくわからなかった。良さどころか、そもそも意味すら理解できなかった。
『私の青春はもはや堅い血管となり その中を曼殊沙華と夕陽とがゆきすぎる』
ね?
わかる?
私はよくわからない。
こんなもん読んで一日中ああだこうだ言ってたのかと思うと、今思えば大学生ってどんだけ暇なのさ。まあ私は今もずっと暇だけど。
中也は幼い息子を亡くしている。
私たちの研究テーマに指定されていた詩集は、その深い悲しみを喚起させる構成のものだった。
けれどその詩集、発表されたのは息子の死後だったものの、一編一編の詩が実際に書かれた時期はばらばらで、息子の生前に書かれたものも混ざっていたらしい。
「我が子を失った中也の悲哀と絶望がこの詩集には凝縮されており」みたいなことを言う私に、先生は「そんな単純じゃねえよ」と言った。「これってさあ、っぽくみせてるけど、そんな純粋じゃないんだよ。人ってそんなもんじゃないだろ。」と。
そして「素直すぎるんだよ。関谷はいつも直球勝負だから全部俺に打ち返されるの。変化球も覚えなさい。」と言った。
先生の言っていたこと、いまならちょっとだけわかるような気がする、
私の誕生日に、「今日私誕生日なんで晩御飯ごちそうしてください」と言ったら、先生は「なんでだよ、嫌だよ」と言いいながら、結局私とゼミのメンバーを特別きれいでも汚くもない店に連れていってくれた。「よく来る店なんだ、けっこう美味いよ」と言っていた。そして高めのセットメニューを眺める私に「どんだけ図々しいんだよ」と言って、それからすぐに「嘘だよ」と笑った。
ただ自分を印象づけたくて、まるで興味のない寺山修司の実験なんちゃらというビデオを先生に借りたことがあった。これグロいからダメな人にはダメかも、と先生は言っていたけれど、私にとってそのビデオはただただ退屈だった。眠いのをこらえながらその意味不明な映像に必死にかじりついた。明日文句を言ってやるためだけに。
彼の愛するものを否定することでしか伝えられなかった、それはあまりに幼い好意の表現方法だった。
大学4年生になると、卒論のテーマを決めなければならなかった。
先生の専門である近代文学は、先生の人気に比例してダントツの1番人気だった。
ちょうど何にしようか迷っていた頃、近世文学の先生に「関谷は近世にすれば?」と言われた。
私は昔から文章を書くことは好きだったけれど読むのが嫌いで、文学部の学生なくせに図書室で分厚い本に囲まれると突如強烈な便意に襲われるという謎体質でもあった。
他分野に比べればまだ研究が遅れていて文献の少ない近世文学はそんな私にぴったりだと、近世の先生は言った。読まなくていいから。
「おまえがパイオニアになっちゃえば?」という冗談半分の誘い文句に気分を良くして「じゃあ」と近世文学を専攻した。
けれど本当はそんなの言い訳で、私は近代文学以外ならなんでもよかったのだと思う。友人みんなに「あんたはどうせ(先生の)近代でしょー?」と言われることが、見透かされているようで悔しかったから。
余談ですが、最初私は卒論のテーマにエロを期待して『好色一代男』を選んだ。でもこれがまぁつまんねえ。江戸時代のエロ超つまんねえから、これから志す若者は気を付けて!
あと実際は、いくら「読むの嫌い」つっても文学部国文学科の卒業論文なんて文献の引用、引用、引用でかさ増ししてなんぼなんだから(?)、文献が極端に少ないのは普通に地獄。
卒業前、先生の研究室で、先生のパソコンに入っていた姓名判断のソフトをやらせてもらったことがあった。
この占いけっこう当たるんだぜ、と得意気に先生は言って、私はわくわくしながら自分の名前をカシャカシャと入力した。
天下統一運だそうです。私。
「大器晩成型で、50才を過ぎて大きな成功をおさめるでしょう。」
「ただしこのタイプの人は性的に男性を満足させることができず、晩婚、もしくは結婚しても離婚の可能性が高いでしょう。」
先生は、「いつか大化けするのかもよ?」と言ってにやりと笑った。
先生、私50まであともうちょっとだけど、いまんとこ大化けの予兆ぜんっっっぜんっっありません。
(ただし、性的に云々から先は当たってるっぽいです。)
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『この存命人物の記事には、出典がまったくありません。信頼できる情報の提供に、ご協力をお願いします。』
『この項目は、書きかけの項目です。加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。』
というWikipediaを眺めながら、「小津安二郎が好きで、原節子は天女だと言ってました。」「あと西田ひかるも好きって言ってました。」「わさびせんべいが苦手です。食べたら泣きます。」を項目に追加してやろうかと、目論む。
本人が実際に言ってたし泣いてたんだから、「信頼できる情報」なはずだ。
ただちょっと、古い情報なんだけど。