前略、ゆっち様。

実家がゴミ屋敷だ。

 

母が、物を捨てられない人である。その上多趣味(オタク気質)で、パソコン・ハーモニカ・卓球・料理・お菓子作り・DIY・家庭菜園に関するなんやかんやがどんどん増えていく。さらにはいまハーゲンダッツを何個買ったら保冷バッグが貰える、いま発泡酒を何本買ったら保冷バッグが貰える(また保冷バッグ!?)、という理由で増えていった保冷バッグが4つも5つも転がっている。あと、卵がまるまる1パック未開封の状態で残っているのに、また新たに買ってきたりする。冷蔵庫、開けたら雪崩。

 

そんな母が終活宣言をした。

まずは倉庫に眠っている私と妹の思い出の品々を処分しろ、とのこと。

私達の小学生の頃の連絡帳や、図工とか習字とかの作品、それに写真もだ。

え…「まず」こっからなの?思い出の品ってハードル高くない?先に保冷バッグからでもよくない?ていうか倉庫よりもまずは本宅なんとかした方が…と思ったけれど、母に言わせれば

「まずは、他人の物から捨てる。なぜこの家に住んでいない人達の物をこの家で保管しなければならないのだ。」

とのことだった。ごもっとも、と納得もしたし、私達の子どもの頃の作品は母にとって「他人の物」なんだ、と知りもした。

 

いまは母の物置部屋となっているかつての私の部屋に、処分する品々を運び込み、私・妹・姪っ子の3人で仕分け作業を始めた。

「懐かしい、これ夏休みの宿題で『アラジンと魔法のランプ』の絵描いたやつだ」

「覚えとるー!この時、ノブ君(イトコ)がぶつかってきてターバンの赤がはみ出ちゃって、タダオ兄ちゃん(イトコ)が「俺が修正したる」って赤い点びゅーって伸ばして「出血」つったんよね」

「なんだそれ、ってショックだった」

「きゃはは」

「あ、こっちは…」

いちいちそんな調子で、作業はなかなかはかどらない。

私の創作マンガも出てきた。

小学生の頃、いつもお絵かき帳に自作のギャグ漫画を描いていた。とても見てらんない酷い代物だったけれど、それを笑って受け入れられる程度に、私は大人になった。

ランドセルもあった。

肩ベルト部分を握って持ち上げると、朽ちていてぱらぱらと粉が落ちてきた。

「きっちゃな」と言いながら、逆さにして中身を振り落とす。

そこから出てきた身に覚えのある数通の手紙を、私は咄嗟に隠して鞄にしまった。

 

 

子どもの頃、ほんの一時だけ「小学生新聞」というものを取っていた時期がある。

たしか、私が両親にねだったんだったと思う。私も妹もほぼ読まなくてすぐやめることになるのだけれど、その中に「文通相手募集」のコーナーがあった。

遠く離れた見知らぬ誰かとの手紙のやりとり。それはまだ「SNS」なんて言葉を誰も知らなかった時代、小学生だった私の心を高揚させた。(やってみたいなあ。)けれど、母に反対されるに決まっていると思っていた私は、どうしても言い出すことができなかった。

そんなある日、いつものように「文通相手募集」コーナーを見ていて、ある投稿に目が留まった。かわいらしいうさぎのイラスト。誠実そうな文章。同い年。そして、私と同じ名前。この滋賀県の「ユウコ」ちゃんと、絶対に手紙のやりとりをしたい。

私は誰にも内緒で、こっそりと彼女に手紙を出した。

当時両親は共働きで帰りが遅く、郵便物は私が回収できる可能性が高い。最悪バレたとしても、転校していったお友達だと言えばいい。実は彼女の名字はかなり珍しく、この辺では聞いたこともないけれど(ちなみに今『名字ランキング』で検索してみたら、県内には一人もいない名字だった)、小学生はそんなこと考えない。

 

まもなく彼女から返事が返ってきた。

同じ年齢、同じ名前というささやかな一致を運命のように喜んでくれた彼女は、自身は「ゆっち」と呼ばれていること、ニックネームが同じだとややこしいので私のことを「ユッコ」と呼んでもいいか、というようなことを書いていた。

私の周辺では「ユッコ」ポジションは別にいて(その子は「由紀子」という名だった)、私が「ユッコ」と呼ばれたことはこれまでただの一度もなかった。若干の違和感があったけれど、いいよと快諾した。

 

私はゆっちにいろんな話をした。

誰にも打ち明けたことがなかった好きな男の子のことも、ゆっちにだけは話すことができた。

だって、ゆっちは決して私の人生に介入してこないのだから。

 

手紙の中の私は、教科の中では国語が好きで、明るくて、クラスの人気者で、毎日が充実していて、走り高跳びが好きで、ぶりっこと陰口が嫌いな女の子だった。

 

……嘘は次から次へと、口(鉛筆)をついて出た。

 

『りぼん』『なかよし』の付録の便せんに、偽りの私の姿がどんどん書き連ねられていく。そうして完成されたキラキラの私を、恐ろしいことに現実の私は「嘘」だと自覚すらしていなかった。「理想のユッコ」と「現実のユウコ」を混同していたのかもしれない。

 

文通は長くは続かなかった。

虚像のユッコを演じ続けることに疲れてしまったから、というわけではない。

単純に、飽きたからだ。

めんどくさくなってしまったのだ。

もともと文章を書くことは好きなので、(嘘まみれの)手紙を書くことは苦ではなかった。それよりも、切手を貼り、ポストに投函することがめんどうだった。いつも切手は母の記念切手のコレクションからこっそり拝借していたので、その後ろめたさもあったのかもしれない。

私達の文通が途絶え、時が流れ、私は中学生になっていた。

中一の夏休みに、ゆっちから一通の葉書が届いた。

 

『お元気ですか。何かあった?それとも私が怒らせるようなことしちゃったかな?

心配しています。もしよければ、お手紙ください。』

 

やばい。即刻、返事を書かなければ!!!

 

ってすごく焦ったのに、その葉書にすら、私は返事を出さなかった。

なぜなら既に飽きてしまっていたから。部活も忙しかった。

酷い話である。

 

 

いま、目の前に、複数の折り畳まれた便せんと、ひとつの封筒がある。

 

 

ぎゃああああああぁぁあああうわああああ!!!

 

便せんの1枚を開いて、思わず目を背けてしまった。

見てらんない、これは見てらんない、これを笑って受け入れられるほどには、私はまだ大人じゃない。もうちょっと年月がかかる。

似たようなんがあと何個かあるんだけど、便せんを広げることすらできない。

そしてその中に一通だけ、封をされ、宛名も差出人名も書いてある、あとは切手を貼ってポストに投函するだけの手紙も混ざっていた。

 

まとめて捨ててまえ!こんなもん処分一択!!!

 

とゴミ箱に放ろうとして、できなかった。

 

ここで私がこれを、羞恥に任せて握りつぶしてしまって本当にいいのか?

 

だって、思ってしまったのだ。

この手紙を、ゆっちに届けてあげたい、と。

 

これは、理想と現実と見栄と本音がごちゃ混ぜになっていた幼い女の子が、見知らぬ土地で暮らしている、もしかしたら自分とよく似ているのかもしれない、自分と同じ年で同じ名前の女の子に向けて、一生懸命書いた手紙だ。数多の下書と失敗を経て、ようやく完成させた手紙だ。

そしてそのつたない手紙が届くのを、ずっと待ち望んでいた少女が、かつて、いた。

何十年の時を遡って、私はこの手紙を、あの日の少女に届けてあげたい。

 

いま、ゆっちはどうしているのだろう。

彼女のフルネームと、滋賀県、と入力して検索してみた。

ヒットした。

 

その人はかつての彼女の住所とは別の市で、ヨガのインストラクターをしていた。

彼女がゆっちなのかはわからない。名字は珍しいけれど、下の名前があまりにもありふれているので、同姓同名の別人かもしれない。

 

探偵ナイトスクープ。ふと、その文字が頭に浮かんだ。あの番組なら、直ちに優秀な探偵を派遣してくれるかもしれない。

けれど探偵局には日々ものすごい数の依頼が殺到しているらしいし、しかも「人探し系」はトラブルに発展する可能性を考慮してさらに採用のハードルが上がるらしい。

それにこの手紙(黒歴史)をテレビで晒すのは勇気いる。というか、万一にも会社の人に私のテレビ出演は知られたくない。

 

余談ですが、この「もし『探偵ナイトスクープ』に何かを依頼するなら何を依頼する?」というのは、誰もが人生で一度は考えるテーマだと思う。(ですよね?)

以前、妹と、妹の同級生でもある近所の幼馴染の子と3人でその話題になり、彼女らは「小学6年生の時のタイムカプセルを開けたい」と言っていた。

タイムカプセルといっても、校庭のどっかに埋めたのではなく、担任の先生に預けたのだそうだ。ハタチになったら先生が皆の自宅に郵送してくれるはずだったが、ハタチを過ぎても、30を過ぎても、一向に届く気配がない。

当時先生からは「その頃には郵便料金も上がってるだろうから」と、少し高めの金額で切手を貼るよう指示されたらしい。かしこい。いやもはや郵便料金も先生の想定をとっくに超えちゃったし、ていうか引っ越した子の分はどうするつもりだったんだろう。

普通郵便で送れる程度のものなので、中に入れられたのは手紙と、あとは本当にちょっとしたものだ。

幼馴染は「私、たぶん、模様付きのポケットティッシュ1枚と、匂い玉1粒入れた気がする(笑)」と言い、妹は「私、千円札入れたんよね。だから本当に返してほしいわ。」と言っていた。「えっ、なんでそんなもん入れたん?」と聞くと、「わからん、自分で持ってたら無駄遣いしちゃうと思ったんかな…」と言っていた。タイムカプセルを定期預金感覚で利用すんな。

探偵ナイトスクープさん、この案件、どうにか引き受けてやってもらえませんか。

 

 

母の終活宣言によって私たちが子どもの頃の品々のほとんど全てを処分したのは、2年前のちょうど今頃だ。

あの日発掘された手紙は、捨てられることも宛先人に届けられることもなく、私の部屋の貴重品ボックスに眠ったままだ。これをどうこうするには、もうちょっと年月がかかりそうだ。

せめて、ゆっちからの手紙が一通でも残っていれば。

そしたら「なんだ、おたがいさまだったじゃんか!」って安心して笑えるかもしれないんだけど、なにせ、一方的に私の恥ずかしいやつしかないからっ…!

 

そして2年経った現在も、私達の思い出の品以外の何かが実家で処分された形跡は一切なく、実家はあいかわらず物であふれている。今年も母はスーパーで2パック目の卵を買い続けているし、2024年バージョンの保冷バッグをまた買うのだろう。

 

 

今週のお題「捨てたい物」

 

ねえ、こんな話あるんだけど、聞いてくれる?