あたしには嫌いなものが多い。
たとえば、自己啓発本の類がどうも、だめです。
かつて知人から贈られたそれには、どのページを開いても同じようなことしか書いていませんでした。綺麗で、健やかで、まっとうで、たいした目新しさも衝撃もない、わかりきっている(けれどなかなか実行できない)方法論で埋め尽くされた、退屈な言葉群。
あたしが欲しいのは、そういうんじゃない。
けれどじゃあ何が欲しいのかと突き詰めれば、あたしはある意味で、はなから「言葉の力」なんてものを信じていないだけなのかもしれません。
いずれにせよ、見ず知らずの不特定多数に向けて、誰にでも当てはまるような当てはまらないような耳触りのいい理想論をぬけぬけと並べあげて発信しちゃえる人を気色悪いと思うし、そんな安直な言葉を真に受けて「よし!」なんて奮い立つ人にも、あんた一本芯通ってないんじゃねえの?と苛立ってしまいます。この程度でみなぎったちゃちい信念まがいのソレは、どうせまたすぐつまんないことで折れるよ、と。
そういうことを言うと、彼はいつも怪訝な顔で「俺、ゆうこのそういう歪んだとこどうかと思う。」とあたしを非難しました。歪んだとこ。ばっさりそう切り捨ててしまう彼には、あたしが言わんとすることはまるで伝わらなかったのだと思います。そりゃそうだ。だって、あたし本人ですら一体自分が何を主張したかったんだか、実際のところよくわからないでいるんだから。
彼は、前向きな言葉やべたべたの流行歌なんかを愛する人でした。
あと昔やってたオーラの泉(あたしはあれほどの糞番組はそうないと確信している)を録画して見るほど好きで、よくそれが小競り合いの原因になってもいました。
…ほらみろ、やっぱりじゃんか、と思う。
薄っぺらい言葉に惑わされたり死後の世界を信じたり、そんなだからあっさり死んじゃうんだよ、と。ばかじゃねーの。死んでんじゃねーよ。ふざけんな。ふざけんなよ。
9月の連休明けに、彼氏(ではなかった男)のフタマタが発覚しました。 (※それはまた別のお話。)
その数日後の深夜、失意のどん底真っ只中でぐうぐう寝てたところを電話で叩き起こされて、今度は数年前に離婚した元夫の訃報を知らされました。
元夫とは離婚後も時々電話したり会ったりしていたのだけれど、何ヶ月か前から急に連絡がとれなくなっていて、その理由をあたしは自分なりに勝手に結論づけていました。彼には彼の事情があるのだろうと。だって、あたしたちの関係は、少しばかり特殊であるかもしれないから。いつかは断ち切らなければならないものなのかもしれないから。
けれど本当の「事情」ってやつが、ようやっとわかった。死んでたんだ。とっくに。
もうね、
底が見えねぇ。
ナニコレ。
穏やかで無風で平々凡々だったはずの人生にたった一週間でこんだけ盛り込まれるとか、あたしは一体なんのツケを払っているの。
この3ヶ月ちょっと、何かにつけ亡くなった元夫のことを思ってはめそめそと泣いて過ごしました。日課みたいに泣いていました。
よく「失くした恋を忘れさせてくれるのは新しい恋」だなんて聞きますが、失くした恋を忘れさせてくれるのは更なる悲しみでもあることよなあ、と痛感します。おかげ様でフタマタ男のことなんてまあ思い出しませんでした。そもそも思い出すほどのたいした思い出自体、二人の間にはなかったのかもしれません。
我ながら勝手なもんだと呆れます。
だって、生きていた時には、一緒にいない時間に彼のことを考えることなんてほとんどなかったんだから。
失ってはじめて大切さに気づいた、だなんてそんな美しい話じゃない。あたしはただ、もうどうしても手に入らないから欲しがっているだけです。お菓子が欲しいとスーパーで駄々をこねて泣き叫んでいる、聞き分けのない子どものように。
あたしは一体どこまで身勝手なんだろう。
出会った頃の彼はとても健全な人でした。
少なくともあたしの目にはそう映っていました。
そして彼の健全さは眩しくもあったけれど、あたしを脅えさせるものでもありました。
努力家で、明るくて、人見知りせず誰とでも打ち解けられて、ちょっと生真面目なところもあって、そういう彼と並ぶと、自分の駄目さが際立つような気がしていました。
けれど今は思います。本当に健全なのは実はあたしの方だったんだって。ずるくて、いい加減で、めんどくさいことは全部後回しで、怠惰で、コミュニケーション能力が極度に低くて、人づきあいが下手で、薄情で、他人の痛みなんてわからないわかろうともしない、それでもって自己主張ばかりやたら強い、あたしだったんだって。 …今あたしが思う健全は、「丈夫」という言葉に置き換えた方がより近いかもしれない。
全部をきっちり説明しようとすれば、文字数が嵩張って収拾がつきません。
といって何を残し、何を削ぎ落とすべきなのかもわかりません。
それでも簡潔に、とても乱暴に言いきってしまえば、彼は数年前、同じ職場の女性スタッフに好意を持たれ、その女性がストーカー化したことを契機に心の均衡を失いました。みるみる弱っていって、ある朝会社に行けなくなって、病院で「自律神経失調症」と診断されました。
あたしたちが結婚した頃には彼はもう元の職場に復職していましたが、一度壊れた心はなかなかすぐに元通りというわけにはいかなかったようで、その頃の彼は通院しながら何種類もの薬を服用していました。
結婚生活は二年と持ちませんでした。「ゆうこのことは嫌いにはなれないけれど、一緒にも暮らせない」と言われました。そう告げる彼は本当に苦しそうで、離婚したいと言われたことよりも、あたしが背負わせてしまっている彼の心の負担を思うと悲しくて申し訳なくてなりませんでした。
それから、あたしは結婚するときも離婚するときも両親には彼の病のことは隠していました(話せばややこしくなるだけだと思って)。だから離婚の理由を問われてもそこを打ち明けることはなかったけれど、心のどこかでは、というよりほとんど心のど真ん中で、ずっと彼の病を離婚の言い訳にしてもいました。そう思い込んでいれば、あたしは救われるから。
いちばん悲しい記憶が、何度も何度も蘇ります。
あたしたちがまだカレシとカノジョだった頃、あたしのことを好きだと言ってくれる別の男性が現れました。その人はあたしにとって元夫ほど魅力的な人ではなかったけれど、あたしら二人がかりでも敵わない年収と貯金があったし、なにより異性から(も同性からも)好意を持たれることなんてほぼ皆無なあたしは、ただただそのまさかな状況に完全に舞い上がってしまっていて、当時のカレシである元夫をないがしろにしていました。
ある日、彼は記念日でもないのにプレゼントをくれました。あたしが好きな雑貨を、いろいろ。「ユウコチン最近いつもしんどそうだから。仕事大変なんでしょー?だから、これで癒されて。笑」と言って。プレゼントには短い手紙が添えられていて、その隅っこに、クマなのかタヌキなのかよくわからない動物が湯呑を差し出している下手くそなイラストがありました。―何もわかってない。この人は、あたしがどんだけ最低な人間か、なんにも知らないんだ。― そのすぐ後、あたしは「もうつきあうのは無理だ」と一方的に彼に別れを告げました。
思い出すと涙が止まりません。そんなの大昔の話で、その後いろいろあって、あたしたちはまた元に戻って結婚もしたのに。(なんならその後離婚もしてるのに。)今更蒸し返して悲しむような話ではないはずなのに。
いっぱい、いっぱい、数えきれないほど傷つけた。しんどい思いをさせてばかりだった。
こんなふうに思うのは間違っているとわかっています。
傲慢だと、思い上がりもいいところだとも思います。
彼は、あたしと離婚して新しい彼の人生をもうスタートさせていたのだから。
それでも、あたしは思わずにはいられません。
あたしが彼を殺したんだ。
あたしのだらしなさが彼を追い詰めた。
あたしの無関心が彼を壊した。
救えなかった、なんて甘っちょろいもんじゃない。あたしが、能動的に、殺したんだ。
パラレルワールド、という世界について、時々ふと考えます。
並行して存在するのかもしれない、ここじゃない世界。
もうひとつの現実。
彼は就職活動をしていたとき、職安の求人票を三枚あたしに見せて「こん中だったらゆうこはどこがいい?」と聞いてきました。どれも似たり寄ったりなその三つのうちの一つを適当に指差してこれかな、と答えたら、彼は、「やっぱりー?俺もそこがええかなって思っとったんよー!」と嬉しそうに言いました。
もしもあの日、あたしが別のどれかを選んでいれば。
自律神経失調症と診断されたとき、あの会社を休職するのではなくさっさと辞めておけば。
あたしが、他の誰にもふらふらと心を動かされていなければ。
チョッパーもリラックマもへんなキャラクターの目覚まし時計も、もっと彼の好きなものを認めてやっていれば。
離婚なんて簡単に受け入れないで、ちゃんと彼と向き合っていれば。
そうすれば、あるいは、世界は、景色は、いまとは違っていたのだろうか?
けれどやっぱり、結局あたしは似たようなカタチで彼を失っているのだという気がします。どんなワールドを生きようが、あたしがあたしである限り。ずっと。何度でも。
そういうことを考えだすと、もう思考が同じ場所をぐるぐるぐるぐる回り続けて、どうにもなりません。特に車の運転中が酷くて、自責がノンストップで、涙で視界が塞がれて、こないだなんて仕事帰りにバイパス走ってて、危うくあたしまで天に召されるところでした。やばい。(笑
あたしはまだ死ぬわけにはいかないんだよ。
あたしは、あなたと違って「健全」ですから。
どんだけしんどくっても、ろくなもんじゃなくても、それでも、人生を、他人を、自分を、見限ることはまだできないでいるから。
まっとうな判断力があるから、せめて両親が生きている間はどうしても先に死ぬわけにはいかないんです。
超生きてやるよ。
でもね、言っとくけど、どうやったってあたしはあんたの分まで生きることはできないんだよ。
どんだけ想おうが、祈ろうが、二百年生きようが、それはあたしの分の命なんだよ。
死んだもん負けなんだよ。死んでんじゃねーよ。ふざけんな。ふざけんなよ。(ぐるぐる)
離婚した年のあたしの誕生日に、彼はあたしが好きだったお店のワンピースをプレゼントしてくれました。出会った頃より体重が10kgも増量してサイズが合わなかったあたしに、彼は「ゆうこはもうちょっと痩せなきゃ駄目だよ」と意地悪く笑いながら言いました。
その翌年には、誕生日よりちょっとだけ早めにピンク色の傘を貰いました。雨に濡れると桜の花びら模様が浮き出すんだってと彼が言うので、ちょうど雨が降っていたその日の夜、二人で傘をさしてそのへんをうろうろしました。近所の鉄工所の敷地内の自販機でジュースを買い、自販機の白い灯に照らされて浮き上がるその無数の花びらに二人で歓声をあげ、「おおおー」「職人さん、いい仕事してますねええ」とはしゃぎました。
そして今年の誕生日、彼はもういませんでした。まだ何も知らなかったあたしは、ああそうか、今年は何もくれないのか、そういえばこの十年、毎年彼が誕生日を祝ってくれていたんだなあ、なんてしんみりと考えていました。
離婚後、ダイエットを始めました。ドラッグストアで1,980円の体重計を彼が見つけ、これ体脂肪とか基礎代謝とか目標体重まであと何キロとかも出るらしいよ、いちきゅっぱなのにすげえ、ほんとだ、すげえ、と言い合いました。買ってかえると、何故か彼も自分のデータを登録し始めました。だからうちの体重計の「設定2」には、いまも彼の身長と目標体重が表示されます。
Wii Fitを買ってすぐ、あたしのバランスゲームのスコアを見せると、彼は「不甲斐ない!」と笑いました。すべてのゲームであたしをはるかに凌ぐ高得点を叩き出し、「とりあえずこれ目標にして。そんで記録更新したら連絡して。俺がまたすぐ塗りかえてやるから。」と言いました。
彼は自身のMii(Wiiでプレイするためのアバター)をふざけてでたらめに作り、仕上がったそれがちびまる子ちゃんに出てくる野口さんそっくりだったので、名前も「のぐちさん」にしました。ふざけていたけれど、たぶん彼は、本当はいろんなことを考えていたのだ思う。自分とは似ても似つかない、性別も女性の、のぐちさんというアバターを作ったこと。
嘘つきだなあ。あたしはもう、電池を交換したばかりだったそのゲーム機の電源を入れることができません。
あたし道がわからないから今治駅まで乗せてって、と電話で頼んだことがありました。
「いいけど、ゆうこはできないことが多すぎるよ。これからは道もちゃんと覚えて、自分で何処にでも行けるようにならなきゃ。」
彼はそう答えました。
「じゃあ駅までの道覚えるから、練習につきあって」
「ええよ」
「いつにする?」
「うーん、もうちょっとあたたかくなったらね。」
それが、彼との最後の会話だったんじゃないかと思います。たぶん。
違うかもしれないけど。
10kg痩せたらザッカフェ(雑貨やさん+カフェ)巡りに連れていってあげるから、と彼は言っていたのに。
ねえ、あたしさあ、一年かけて10kg痩せたんですけど。ワンピースとか、もう全然着れちゃうんですけど。あなたにワンピース着てる姿を、どうだ!つって、せめて一度見せたかったんですけど。
でもそんなこと、あなたにとってはもうどうでもよかったですか?どうでもよかったんでしょうね。だって、あんなに楽しみにしてたH×Hの連載再開すらももう気にならなかっんでしょう?だから死んじゃったんでしょう?あたしはおまえのせいで、もうH×Hなんて読めねえよ。あんたが生前に愛したもの全部に、近寄れないんだよ。ねえ、どうしてくれるの。
死ぬ瞬間、ちらっとでもあたしのこと、思い出したりなんかした?あの温厚なお父さんやお母さんやお姉ちゃんや、あんなにかわいがってた甥っこ姪っこのことは?馬みたいな顔の、かわいらしいばあちゃんのことは?孫の中であんたが一番優しいって、すごい嬉しそうに言ってたじゃんか。
最後に、なに食べた?
聞きたいことが山ほどある。
むかつく。
むかつく。
ザッカフェ巡りだって、道覚える練習だって、約束したのに。
むかついてむかついて、しょうがない。
今度会ったら絶対文句言ってやる!って怒り心頭で思って、あ、そうか、もう会えないんだったわ、と気づく。
ああなんであたしにはスーパーサイヤ人とか火影とか魔法少女とか、誰かを救える特別な力がないんだろう。どうしてあたしはテレビやマンガみたいに、ぎりぎりで間に合わないんだろう。どうしてこんなにも無力なんだろう。
あたしは一切の心霊現象も宗教も信じない。なのに、たとえば仕事に追われてて全然そんなことやってる場合じゃないのにmixiなんか開いてアプリのゲームをしようとして、「ただいまメンテナンス中です」なんて表示が出ると、彼にたしなめられているような気がして「えへへ」とか思ってしまう。
毎日毎日、ずっとそんなことの繰り返しです。
ぐるぐるぐるぐる。 すっかすか。
喪失感。というよりこれは、閉塞感。
ずっとずっと昔、まだハタチだった頃、あたしは当時大学受験の勉強をしていた妹が羨ましくてなりませんでした。妹はあたしと違って昔から成績優秀で、学歴がすべてではないとはいうものの国立大学を目指すこの子の未来はあたしよりずっと選択肢が広がっているような気がしたし、単純に「二つ年下」という年齢である彼女は、あたしが二年前立っていたその場所で、あたしよりずっとずっと頑張っていて、しかもちゃんと成果を出しているように見えたからです。
そんなあたしに、妹は、〈ぱん!〉と目の前で手を打ってみせ
「姉ちゃんはいま、ハタチの自分に戻りました。」
と言いました。
そして憮然とするあたしに「ハタチの姉ちゃんは、未来の自分にとっては、戻りたい過去の自分なんよ。姉ちゃんは今日、こっからやり直せるんよ。」とも言いました。
ハタチじゃなくてもいい。ほんの何年かでいい。そこからやり直したいと願ういまこの瞬間も、いつかずっと先のあたしにとっては、もう決して届かない、戻りたい過去にいるあたしなんだろうか。
そうなってしまわないように、あたしは今日、ここからやり直せるんだろうか。
彼が亡くなってから、何度も何度も、文章に書き起こしてはまるごと全部消す、というあほみたいな作業を繰り返していました。最初から消すつもりで書いたわけではなくて、ただどうしても保存することができなかっただけです。つって、なんだそれ。なんてナルシシスティックな。(でもいまこれを消していないことで、あたしは相当回復したんだなあと実感しています。)
書く、という行為を、とても不純なことだと思います。
そしてあたしは彼の死を、不純なものにしたいのだとも思います。
混じりっけのない純度100%の自死は痛すぎて、強すぎて、抱えきれないから。
受け止め難い現実に放り出されていることそのものと比較すれば、そこを見つめて、意味をつける作業は、どんだけの痛みを伴おうがやはりひどく容易くて、甘やかだから。
思い込みや自分に都合のいい部分ばかりを抽出した文章をこしらえて、そんなものは真実からかけ離れているようにも見えて、それでも、そんなつまんない日記だとわかっていてもちやほやされればいい気になって、あたしは、なんてばかげているんだろう。ヒトリヨガリハナハダシイ。
先日、テレビのバラエティ番組である女性タレントが「ちゃんと傷ついたことのない人は、本当に人は愛せない」(うろ覚え)みたいなことを言っていて、なんだか許されたような気がして、その言葉に泣きそうになりました。そして思いました。ああそうか、あたしがばかにしてた自己啓発本って、こういうことなんだなーって。
大抵のことは全部、言葉にしてしまえば安っぽくて、ありふれているんだ。
そしてそんなありふれた言葉を、みんなはきっとそれぞれの経験と照合して、咀嚼して、きっちり取り込んでいるんだ。
そんなもんは所詮一時的な高揚感でしかなくて、実のところなにひとつ変わっちゃいないのかもしれないけれど、それでも、きっとそれは栄養素として体内に吸収されて蓄積されていってるんだろう。 …いや、別に蓄積なんてされなくっても、蒸発して全部消えてなくなってしまっていても、それはそれで構わないのかもしれない。どうせ人の一生なんて、無駄なことだらけなんだから。
あたしはなんにもわかっていなかった。
いつだって自分のことばっかりで、想像力が欠落していて、誰かを慮るとか、誰かと何かを共有したいとか、そういうのが薄くて、だからなんにも気づけないんだ。
あたしはなぁーーーんにもわかっていなかったんだなあ。(それでも今後も自己啓発本なんて買わないし読まないけどね。)
彼のことを聞いた最初の瞬間、あたしは本当に取り乱して、呼吸の仕方忘れちゃった?くらいにぜえぜえなって、怖くて、大人がこんな泣き方をするものかと自分でもびっくりするくらいわんわん泣いて、それでも、わんわん泣きながら頭の隅っこの冴えた部分が、明日は燃えるゴミの日だなって覚えていました。
生きるって、そういうことなのだと思う。
優しくなりたい。
優しくて、誠実な人になりたい。
そんなわけで
あたしの新年の抱負は、「元気でいる」なんです。