男友達(結婚編)

「おまえ、これから俺の言うこと、気をしっかり持って聞けよ?」

 

会社の昼休み、地元の情報誌のページを何となしに捲りながらコンビニ弁当を食べていたところ、知人からの突然の着信。

 

ななななによ、あたしここのところけっこう悲しいこと立て続いてたんだけど、この上まだなんか起こる?びくびくしながら「もったいつけんとはよ言え」と言うと、「実は…」と数秒ためてから、深刻な口調で、彼は言った。

「M崎が、結婚した」

 

ぎゃふん!

 

「まじでええええ!?www」

「やっぱり、おまえも知らんかった?」

「知らんよ、てか最近全然連絡なかったし。なんそれ、M崎君から報告されたの?」

「いや、あいつ俺にも内緒にしてやがった。これ矢野君情報。さっき銀行で矢野君にばったり会って、『そういやM崎さんのこと聞きました~?』て言われて、はじめて知った。」

「あいつ、あたしらには内緒でも矢野君には言うとったんか!」

「それが矢野君も社内メールで知ったらしい。ほら、あそこ冠婚葬祭いちいちグループ会社にメール回すから。M崎もさすがに会社には結婚報告しとったみたい。なんやねんあいつの秘密主義、あいつは芸能人か!」

「え、相手はやっぱり例のジムノカノジョかな?」

「つーか俺、そのジムノカノジョの話すら一切知らないんですけど、『例の』って何?誰やねんそれ」

「ふ(笑)あんたいっつもM崎君の彼女のこと、これでもかってくらい力一杯いこき下ろすじゃん。だからあの子もあんたには紹介したくなかったんじゃないの?」

「だってあいつ女の趣味悪いやんけ」

「知らんわい」

あたしが適当に返事すると、彼はもう一度、今度は含みを持たせて同じセリフを繰り返した。「だってあいつ女の趣味悪いやんけ。…ねええ?」


 

M崎君は、居酒屋で豚キムチを注文して店員さんに「申し訳ございません、豚肉を切らしておりまして…」と言われて「じゃあ豚肉抜きでいいっすよ」と真面目に答えるような男だった。それはもうただのキムチやないかと皆に突っ込まれ、周囲から「天然」と愛された彼のそういうところを、あたしはおもしろいともかわいいとも別に思わなかった。(豚キムチの豚肉抜きは、ただのキムチとはちょっと違うような気もするし)

彼は葬式に出席するのに香典を忘れてくるような奴だったし、「俺いまからmixiでバイクのことつぶやくけど、きみのコメントちょっとクセあるから今回はコメント無しでよろしく」とか意味不明の予防線を張るような奴でもあった。

ぶっちゃけ、彼のことをちょっといいなと思っていた時期もあった。出会った初期の頃だ。

彼もそうなのだろうとわかっていた。

というよりむしろ、わかりやすい好意を向けてきたのはむこうが先だ。

好かれたからこっちも好きになった、といっても過言ではない。

けれど二人きりで会うようになって、すぐに気づいた。

あたしが好きなM崎君は、みんなといる時のM崎君なのだということに。

【人気者で、みんなから慕われている】M崎君なのだということに。

もっと言えば、あたしが気に入っていたのは彼ではなく、彼のような人に好意を持たれ、ほんのちょっぴりだけ(けれど誰の目にもあきらかに)彼から特別扱いされている自身のポジションだった。あたしはただ、彼に好かれていい気になっていただけだった。

だから二人だけしかいない場所では、M崎君はあたしにとって途端にただのつまらない男に成り下がった。それでも完全に舞い上がっていたあたしは、Yesでもなく、といって明確なNoを突き付けるわけでもなく、思わせぶりな態度で彼に接し続けた。あたしよりずっと前からM崎君と友達だったNちゃんが彼に向ける眼差しにもとっくに気づいていたけれど、それすらも知らないふりをした。

あたしは、子どもの頃『りぼん』という少女漫画誌に連載されていた『星の瞳のシルエット』にやきもきして以来、身近な友達の片思い事情には一切首を突っ込まない、完全スルーのスタイルをずっと貫いている。

あのまどろっこしい少女漫画の主人公かすみちゃんとその親友真理子の関係性は歪んでいるとずっと思っていたけれど、あたしとNちゃんの関係もまた、同様に歪んでいた。

Nちゃんは、探るような笑顔をあたしに向けて、「M崎君とお似合いだよ、むこうは絶対好きだと思うよ、つきあっちゃえばいいのに」なんてセリフを吐き、あたしはいつも「HAHAHA(笑)」と笑ってはぐらかしていた。

 

いつだったか、「ドラえもんのどこでもドアを人生でたった一度きり使えるとしたら何処に行くか」という話題になったことがある。

Nちゃんは、「あたしは未来を見に行きたいな」と答えた。

おまえはドラえもんを見たことがあるのかと。

それどこでもドアの用途じゃないですから。

あんたが欲しがってるそれは、のび太君の勉強机の引き出しのやつですから。

どんな会話をしていても、Nちゃんの回答は、いつもどこか少しずつずれていた。

ばかな女だと、あたしは常に彼女を見下していたような気がする。

けれどじゃあえらそうに言っているおまえはどこでもドアで一体何処に行くのかと問われれば、「あたしはきっと使わない」と答えただけだった。

人生でたった一度きり、という制約が入ることによって、あたしはきっとそれを一生使えないだろう。

いつも、先延ばしにしている。いつだって、今じゃない気がして立ち止まっている。あたしこそ十分にばかな女だった。

 

ある年の年末、M崎君に「好きだ」と言われた。「何年でも待つから、いつまででも待つから」と言われた。

そしてその一週間後「いやぁ~、他に好きな子ができちゃってさぁ~」と言われた。

年末に告白してきた奴に、年始にフラれた。

メンゴ!(※「ごめん」の死語)、みたいなノリだった。

 

その後、M崎君は突如恋に落ちた彼女と一年ほどつきあい、彼曰く「結婚っつーかなんつーか、まあ、ただの挨拶的なあれ」のため彼女のご両親とスーツ着用で会う約束の日に、寝坊して二時間遅刻した。それが原因というわけでもなかった(らしい)けれど、それからすぐに彼女とは別れた。

「…オマエ、わざとやろ?寝坊なんて嘘やろ?逃げただけやろ?」

と冗談半分(本気半分)に口撃するあたしに彼はにやにやしながら

「うーん、そういうわけでもないけど、や、ただの寝坊っすよ」

とだけ答えた。

 

その後も彼は誰かに恋をしては終わり、また別の誰かに恋をしては終わり、を短いサイクルで繰り返していた。

そして今度はスポーツジムで知り合ったひとつ年下の子が気になっている、と彼本人から聞かされたのは、一年か、それくらい前だ。彼女のために誕生日プレゼントを一緒に選ばされたりもした。

M崎君が好きになる女は毎度タイプがまるきり違ってみえて、なんていうか、脈絡がなかった。

M崎君と最後に言葉(文字)を交わしたのは、今年の初めだったろうか。

『会社の飲み会だから迎えにきて』というメールが来たのに対し、それは無視して『2月にキャリーケース(小)貸してください』と返信した。『キャリーケース(大)しかない』と返ってきたので、もう返信しなかった。一週間くらい経って、『キャリーケース(大)ならあるよー!』と彼から再度メールが来た。それっきりだ。

じゃあ最後に会ったのはいつだったろうと思い起こしてみて、それがずいぶんと前まで遡ることに気づく。去年の夏だ。

彼の部屋でガリガリ君を食べながら深夜のバラエティ番組を観たり、ジムノカノジョから貰ったという白いマグカップをからかったり、それぞれのmixiを眺めたり、何の感情も未来もついてこないキスをしたりしていた。

そうか、あれから彼はもうこんなにも急速に遠ざかったのか、と思い知る。

あの日あたしは彼に、「ジムノカノジョと結婚したい?」と聞いた。

彼は「それはまだよくわからん」と答えた。

それだけだった。

 

そして今あたしは、彼が遠くへ行ってしまったことを知りながらも、この期に及んでまだ、どうせうまくいかないんでしょ、と思っている。

あいつの結婚がうまくなんていくはずがない。

だって彼はあたしと同じだったじゃないか。

一本芯が通ってなくて、ふらふらしてて、積み重ねたものが何もなくて、そういう寂しさを不確かな何かでごまかすことしかしてなくて。堅実さや健やかさを、守ったり、育てたり、構築することができない人間じゃないか。

 

なんて。

本当は彼のことなんて何も知りやしないくせに。

似たもの同士なんだって、ただ自分の求めるM崎君像を勝手に彼に押し付けちゃっているだけのくせに。

それにたとえ似ていたって、まるで同じなわけじゃないことも、本当はちゃんとわかってもいる。

あたしたちは、生まれ育った土地も性別も脳みその構造も全然違う、それぞれまったく別の個体。

 

*

 

「なあおまえM崎から花見の誘いあった?」

「ないけど」

「やっぱりか…」

「なにが」

「俺にはこないだメール来てた。あいつ、花見でいきなり結婚報告する気ちゃうか?みんなに驚かれたいんじゃない?だから昔の女は邪魔なんだわ(笑)」

「誰が昔の女じゃ」

「ていうか、あいつ昔から狙ってる女がいる集まりには絶対おまえのこと呼ばんかったからwwwあれ何なの?やっぱきみがM崎の恋路を邪魔するからなの?未練か、きみ、あいつのことまだ好きなんか!wwww」

「邪魔してねーわ。昼休みもう終わるから切るよ?」

 

M崎君は、これまであたしがどんだけ酷いことを言っても突き放しても、「まあまあ」と呑気になだめるだけで、決して離れていくことはなかった。だからなんとなく、とても陳腐な言い方だけれど、ずっとそこにいる人のように錯覚していた。

でも特定の誰かと一緒にすごせる時間なんて、実はとってもわずかなのかもしれない。

若い時に何もしなくても無条件で与えられていた居心地のいい場所は、いつまでも開放されているわけじゃない。みんな、いつかそこを離れて、きちんと段階を踏んで、本当の居場所を見つけるんだ。新しいその場所は窮屈で煩わしいだけのようにも思えるのに、何故だろう、あたしは、自分が決して踏み込めないそこが、羨ましくて仕方ない。

Nちゃんも、今は結婚して子どももいるそうだ。彼女とはもう何年も会っていない。M崎君も同様で、ご主人がどんな人かもまったく知らないと言っていた。

やっぱりあの時Nちゃんにもっとちゃんと聞いておけばよかったと少し後悔している。

どこでもドアで覗きたかった彼女の未来は、はたして何年くらい先だったんだろう。どういう未来を夢見ていたんだろう。(あたしがもう一度見たいと願うのが、いつだって過去の場面ばかりだから。見たってもう、どうにもならないことばかりなのに。)

 

どこかで、M崎君にとって自分は特別なのだと思いあがっていた。

彼がかつて好きになった女性たちの誰とも、彼はもう連絡を絶っている。いまだ繋がっているのはあたしだけだ。けれどそれは特別だからということではなくて、ただ彼とあたしのどちらともが、ちゃんとしていないからってだけだったのかもしれない。

 

大昔、(あたしなりに)真剣に彼について考えたことがあった。

たとえば彼を取り巻く友人であるとか、彼の乗っている車とか、仕事とか、そういうステータスを一切排除した丸腰の彼を、あたしは愛せるか?と。

答は「No」だった。

悩んで悩んで悩み抜いて、出した答だった。

わかっていたことだ。

ちゃんと、わかっていたことなのに。

なのに、なんだこの濁った感情は。何が気に入らないの。あたしは一体どうしたいんだ。

 

男女間の友情は成り立つか否か。

際限なく議論され尽くしてきたその永遠のテーマがいまだに決着しないのはきっと、その問題の複雑さというよりも「人による」からということに尽きると思っている。成り立つ人もいれば、そうじゃない人もいる。それだけのことだ。

 

男女間の友情が成り立つか否か、だなんて、しかしあたしと彼は、その土俵に上がってすらいなかった。

あたしたちの関係性は、いつも「ごっこ」みたいなもんだった。

けれどそれが何ごっこだったのか、あたしたちは、おままごとであれば当然振り分けられる、自身の「役割」が何かすらわからないでいた。

 

けれど今度こそ、彼はきちんと「役割」を見つけたのだろう。

ジムノカノジョの前で、彼はきっと自分に与えられた役を無難に演じきるのだろう。

結婚相手がジムノカノジョかどうかも知らんけど。

 

テーブルに視線を落とす。

タウン情報誌の『春のお稽古スタート特集』というページが目に留まる。

自分史上最高のワタシになろう!と銘打たれたそのページには、ネイルとか料理とかフラワーアレンジメントとかの教室が紹介されていた。加圧トレーニングなんていうのもあって、わかりづらいというよりほぼでたらめな小さなMAPによれば、どうやら会社のわりと近くのようだ。最近オープンしたばかりらしい。

その大まかな位置と営業時間や月謝を確認しつつ「(あたしも)スポーツジムかあ」だなんて引き締まった健康的な身体、ポジティブな心、生まれ変わった自分を夢想したら、テケテテッテテーン!つって突如現れたどこでもドアの扉がちょっとだけ開いたような気のせいがした。