結論、「幻の6番」なんてないっぽい。

ひとつ前の記事(浦島さん)で、『桃太郎』について少し触れた。

 

川で拾った桃を切ったら中に人間(かどうかも怪しい)の赤ちゃんが入っていたという、まさか過ぎる事件の当事者になってしまったおじいさんとおばあさん。

私ならまず通報する。「いやこんなばかげた話誰が信じる!?」と不安を抱きつつも、まずは振り下ろした包丁で赤ちゃんの肌を刻まなかった奇跡に感謝して、警察を呼ぶ。

 

もしかしたら物語では語られてないだけで、おじいさんとおばあさんも一旦は警察なり市の職員なりに相談したのかもしれない。そのうえで、ややこしい手続きを踏んで赤ちゃんを自分たちの戸籍に入れたのかもしれない。

いずれにせよ、おじいさんおばあさんは、桃から出てきた未知の生物を自分達の子として育てることにしたのだ。その決断の背景にいかなる経緯と葛藤があったのか。とても興味深い。

 

けれどこの意見は、ちょっとでも『桃太郎』をかじったことのある人なら「いやいや…」と一言物申したくなるだろう。

実はこの桃太郎、桃から生まれてなどいない。

正真正銘、おじいさんとおばあさんの間に生まれた子どもなのだ。

初期の頃の『桃太郎』では、川で拾った桃を食べて久々にハッスルしたおじいさんとおばあさんがベイビーを授かったとされていた。もちろんその時に誕生した男児こそ、後に鬼退治を果たす桃太郎その人だ。しかし彼の偉業を後世まで語り継ぐにあたり、爺婆ハッスルのくだりがちょっとお子様には刺激が強すぎる。そこで「じゃあもう桃太郎は桃から生まれたってことにしちゃおうぜ」とずいぶん乱暴なやり口で出生秘話が捏造されたのだと、大学生の頃に受けた民俗学か何かの講義で聞いた記憶がある。

ただ、私が大学生だったのはもう30年近くも昔の話だ。記憶違いもあるかもしれない。改めて『桃太郎』の真実についてネットで検索してみた。

 

…めっっちゃ出てきた。あり過ぎて読む気失せた。(すごい時代だわー)

ざっと斜め読みした限りでも、桃太郎伝説は地域ごとに箱から生まれたとか戸棚から生まれたとか川から流れてきた娘が生んだ(←怖すぎん?)とか、色々なバージョンがあるらしい。けれどその中で私がうろっと聞き覚えあったのはこれだな、というのを見つけた。

 

さて、「桃太郎」と名付けられた由来は皆さん知っての通り、「桃から生まれたから桃太郎」というのは有名ですよね。

しかし、実はそのように言われ始めたのは明治後半以降のことなのです。それまでは「川から流れてきた桃を食べたおじいさんとおばあさんは若返り、その2人の間に誕生した男の子が桃太郎」とされていたのです。なぜ若返ったのかと言うとそれは桃という果実には不老長寿や若返りの効果があると古くから信じられていたためだと考えられます。

ただ、そういう話のまま明治20年(1887年)、小学生用教科書「尋常小学讀本」に採用してしまうと、問題が起こったのでした。つまり、児童から「どうして若返ると子供が産まれるの」といったような質問が相次いだのです。その質問に教師達は返答に困り、現在のような話となったのでした。

 

ですって。やはりいくつかの記憶違いがあった。

若返り、の部分がそもそもすっぽり抜けていた。桃に不老長寿や若返りのイメージがあるなんて全然知らんかった。桃って若返りというよりも「性」そのものずばりを象徴しているもんだと思っていた。私のその思い込みの原因は、桃という果実が持つあの艶めかしい甘ったるさと、あと子どもの頃実家のケーブルテレビで普通に視聴できた「ピーチチャンネル」がまさにそういうチャンネルだったからだ。

ていうか、聞いてもまだ「若返り」の部分はいまいち納得できない(したくない)。

そもそも、昔話に出てくるおじいさんおばあさんって何歳くらいなんだろう?昔って寿命短そうだし、山に柴刈りに行ったり川に洗濯に行ったりしてて元気そうだし、そんないうほど年でもないんじゃない?下手したら私より年下かも。(と思って『桃太郎 おじいさんおばあさん 年齢』で検索してみたら、桃太郎はよくわかんないけど一寸法師のおばあさんは40歳ですって!ほら見ろ!いやなんかショックだわ!!)

そしてやっぱり私は桃はエロスの象徴だと信じている。だって桃ってなんかエロいじゃないですかあ。おじいさんとおばあさんは実年齢が若返ったのではなく、桃(エロス)を体内にチャージして気力が若返ったんだと思う。うん、40代、まだまだヤレル。

 

・・・と、前置きが異様に長くなったけれど、私は桃太郎の話がしたかったわけではない(えー!)。

 

じゃあ何が言いたいのかというと、桃太郎は本来おじいさんおばあさんの実子だった。それなのに大人の都合で事実が捻じ曲げられたせいで、世間(私)から余計な憶測を呼ぶことになった。

そういうケースって、他にもけっこうあるんじゃないかな、って思ったのだ。

つまり、本来は何の問題もないものだったはずなのに、一部を改編したせいで全容が歪んでおかしなことになっちゃった、みたいなこと。

 

「森のくまさん」もそのパターンなのではないか?

 

そう、私は森のくまさんの話がしたかった。

誰もが一度は口ずさんだことがあるだろう、あの有名な童謡である。

 

 

森のくまさん

 

あるひ もりのなか

くまさんに であった

はなさく もりのみち

くまさんに であった

 

くまさんの いうことにゃ

おじょうさん おにげなさい

スタコラ サッサッサのサ

スタコラ サッサッサのサ

 

ところが くまさんが

あとから ついてくる

トコトコ トッコトコト

トコトコ トッコトコト

 

おじょうさん おまちなさい

ちょっと おとしもの

しろい かいがらの

ちいさな イヤリング

 

あらくまさん ありがとう

おれいに うたいましょう

ラララ ラララララ

ラララ ラララララ

ラララ ラララララ

ラララ ラララララ

 

 

怖すぎませんかこの歌詞怖すぎますよね。ね?

 

 

森の中でクマに遭遇。それだけでも十分恐怖なのだけれど、いったんお嬢さんを逃がしておいてから追いかけてくる、サイコパスベアー。

「お嬢さん!お待ちなさい!ちょっと落とし物!白い貝殻の小さなイヤリング!」

なんて嘘。

絶対嘘。

私このイヤリング絶対お嬢さんの落とし物じゃないって確信してる。クマの自作自演。

多分お嬢さんも内心「あー、それ私のじゃないわー」て気づいてる。気づいたうえで、「あらクマさん。ありがとう(にこっ)」って受け取ってるのだ。金の斧も銀の斧も両方くすねるタイプ。

それに私気づいちゃったんだけど、そのイヤリング、…貝殻じゃないよ…

よく見たら、それ、前の被害者の、 歯…(逃げてーーーー!!!!)

 

きっと、『森のくまさん』には、公にはされてない幻の6番がある。

ガブッ…  グシャッ… グシャァ…

グシャ…  グシャ…  グルルル…

だらけの、凶悪な6番が…

 

て話を熱く語って誰にも相手にされなかった過去があるんだけど、ネット見てたらほらね、クマさんの謎行動に疑問を持ってる人はいっぱいいる。リアル社会は狭く、ネット社会は広いことを痛感する。

 

同時に、長年の疑問もあっさり解決した。

「森のくまさん」には、実は原曲が別にある。元々はアメリカの民謡なのだそうだ。

なるほど、だから日本語に翻訳する過程でおかしなことになっちゃったのね?と思って元の歌詞を見てみたら、

 

いやなんでこうなった?

 

くらい全然違っていた。

和訳というよりは二次創作。ある日人間がクマと遭遇してクマに「逃げろ」と言われるのは同じだが、その先がまるで違うのだ。アメリカ元歌バージョンは、追うクマと追われる人間のハラハラドキドキのサスペンス展開が繰り広げられるのに対し、なぜか日本語バージョンではクマさんとお嬢さんが「ララララー」と仲良くダンスする。あれがこうなったかと思うと、なんか背中がうすら寒い。

まあでも多くの人に違和感を与えることとなった要因は、「そもそもホラーだったものを無理やりお花畑展開に変換させたことによって生じたひずみ」なのだと納得した。

 

そんなことより今回『森のくまさん』について色々見ていくと、どうもこの作詞家の方も一癖二癖ありそうで。

もはやすっかり忘れてしまっていたパーマ大佐さんとの騒動も、ネット情報踏まえて改めて振り返るとちょっと景色が変わって見えるというのか、途中からは歌詞の謎なんかよりそっちの方がよっぽど気になってしまったのだった。