【レビュー】太宰治『浦島さん』

今週のお題「名作」

 

私達が古くから慣れ親しんでいる昔話には、「語られていない部分」が多い。

事象のみが簡潔な言葉でさくっと綴られることがほとんどで、だからそこに至る過程だとか、人々の思いだとか、登場人物のキャラクター設定に至っても、紐解いていくには受け手側の想像力が多大に要求される。

たとえば桃太郎にしても、切った桃から赤ん坊が生まれるだなんて衝撃映像を目の当たりにして、この謎赤ちゃんを自分達で育てるに至るおじいさんおばあさんの心の葛藤は如何ほどだったのか?素人の手作りきびだんごごときで鬼退治に同行するという不当な取引に同意しちゃう犬、猿、キジの真意とは?

猿蟹合戦にしても、哀れな子蟹のために集結した臼・栗・牛糞・蜂。仇討ちだといって、家族でもない誰かのために他者の命を奪えるほどの彼らの強固な絆の正体は何だったのか?

こぶとりじいさんにしても…

はなさかじいさんにしても…

 

キリがない。

 

浦島太郎も、そんな不可解な昔話のひとつである。

 

太郎とは一体どんな人物だったのか?

人間が亀にまたがって服着たまま海の底に潜るなんて自殺行為、太郎はどんな思いで受け入れたのか?太郎と亀の関係性って?竜宮城て何?そして最大の謎、あの厄介な玉手箱よ!

 

そんな長年の読者の疑問に、太宰治はひとつの解を示してくれる。

 

太宰によれば、太郎は風流を愛する金持ちのぼんぼんだった。

競争心もなく、人生に刺激を求めるタイプでもなく、先人が開いてくれた緩やかな道をしっかりゆっくり踏み外すことなく歩いていきたい人だった。

だから、亀が現れて「竜宮城に連れてってやるから俺の背中乗りなよ!」と言ってきた時も、めちゃめちゃ嫌がる。野蛮でみっともないって。風流な自分が股開いて亀にまたがるなんて無理、って。それに竜宮城とかそんな現実離れしたとこ行きたくない、って。けっこう、ごねる。
亀も亀で、「助けてもらった恩返しをしたい」とか言ってるわりに、ちょっと太郎のことをバカにしてる感がある。

お高くとまった太郎に、「じゃあこっちも言わせてもらうけどあんた、相手が子どもじゃなくても俺のこと助けたのかよ?亀と子どもだったから仲裁したけど、これがもし荒くれた漁師が病気の乞食を苛めてたんだったら、そそくさと立ち去ったんじゃねえの?」と嫌なことを言う。

さらには太郎が亀を助けるために子どもに与えたお小遣いの額(5文)についても、「ぶっちゃけショックだったわ、俺の価値は5文ぽっちか」と不満たらたら。

恩返ししたがってるやつのセリフとは到底思えないし、普通に性格悪い。そのうえ芯食ってくるからタチが悪い。

そしてさんざん太郎をこき下ろした挙句、亀は「でも俺あんたのこと好きよ?俺って爬虫類じゃん?文句ばっか言ってるけどこれが爬虫類の愛情表現なの。」と、自分爬虫類ですからという謎理論一点のみで全部チャラにしようとする。

 

なんやかんやあって、ようやく太郎はしぶしぶ亀の背中に乗る。

観念して「おまえの甲羅に腰かけてみるか」と言う太郎に、「気に入らん!」とまたまた噛みつく亀。

 

「腰かけて【みる】か、とは何事です。腰かけて【みる】のも、腰かけるのも、結果に於()いては同じじゃないか。疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎(だんこ)として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちゃんときめられてしまうのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やって【みる】のは、やったのと同じだ。実にあなたたちは、往生際(おうじょうぎわ)が悪い。引返す事が出来るものだと思っている。」
「わかったよ、わかったよ。それでは信じて乗せてもらおう!」

 

亀うるせえ。

でもここ、見ようによっちゃあちょっぴり、玉手箱フラグ……?

(けれどもちろん亀には、太郎をそそのかして堕落させてやろうなんて悪意はない。)

 

そしていよいよ竜宮城に到着。

竜宮城に着いてからも、「このエセ風流気取りが!」「田舎者が!」と、亀の怒涛の太郎批判は止まらない。

 

実際、壮大な竜宮城を前にして、太郎はただの俗物だった。

 

正門をくぐり、「静かすぎて怖いわ、ここ地獄じゃないよね?」と太郎が畏れれば、「王宮というのは静かなもの。まさか鯛や平目の舞い踊りみたいな馬鹿騒ぎやってるとでも思ってたの?発想が陳腐か。」と亀は言う。

壁も柱もない廊下を太郎が気味悪がれば、「竜宮は雨も雪も降らないから地上のような窮屈な屋根や壁は不要なの。でっかい建物やごてごてした装飾には驚いても、こういう幽邃の美は田舎者にはわからないんだな。」とまた亀は言う。

魚の架け橋でできている廊下を太郎が「悪趣味、これが幽邃の美なの?風流のつもりなの?踏んづけられる魚がかわいそうじゃないか!」とさっきの仕返しも込めて言えば、足元から魚たちが「私たちは別に風流のためにここに集められたわけではありません、ただ乙姫様の琴の音色に聞き惚れてるだけなんで構わず通ってください。」と言う。

(横から亀に「あんたを歓迎するために準備されたとでも思ったぁ?」と追い打ちをかけられる。)

 

太郎、完敗。

 

竜宮城には、とろけるように甘い美酒と、果実、美しい乙姫、無限の許し、そして太郎に対する完全な無関心だけがあった。

それらは太郎がこれまで信じてきた風流という美意識を打ち砕く。風流という言葉に潜む俗っぽさ、卑しさに、彼は打ちのめされる。そしてそんな俗世を美しくいとおしいとすら思う。

 

太郎はそこにいつまでもはいられなかった。

俗世間を厭い雅を求めたはずの彼の美意識は、しかし交わるべき比較すべき俗世間なしには成立し得なかった。

彼は知る。自分がいかに俗人であったかを。

完璧に美しく、完璧に清潔で、完璧に許容されるこの場所じゃ退屈すぎて死んじゃう!てことを。

だってここじゃ亀を子どもから助けてやれるヒーローな俺も、下品なあいつらを見下す高貴な俺も確認できない。低俗な世間にどっぷり浸かってなきゃ、自己を確立できない。自分が自分でいられない。

 

そしてついに太郎は竜宮城から立ち去る。

乙姫から貰った玉手箱を持って。

 

口が悪いだけで悪気なんて一切ない亀は、「よくわかんないけど、その玉手箱は開けない方がいんちゃいます?ろくなことにならない気がする」と助言してくれる。

太郎自身も、「なんとなくヤバそう…」と薄々思っている。

乙姫を疑うということではなく、高貴な竜宮城と俗悪な陸上の落差がエグすぎて開けたらこれ爆発するかも、というのがその理由だ。

 

けれど皆さまご存じの通り、太郎は結局玉手箱を開けてしまう。

 

『中からぱっと白煙

 たちまち太郎はお爺さん』

 

乙姫はなんの意図があって太郎にあんなもん渡したのか。

そして太郎はなぜ箱を開けてしまったのか。

 

太宰治の示す答は、気づいてしまえばシンプルだ。

 

それはほんの少し残酷で、けれど私達読者の心を救済してくれる。

ああそういうことだったのかと得心させてくれる。

一掴みの希望を与えてくれる。

 

 

 

『浦島さん』。

気になるラストは、このGWに図書館でチェケラー。