五月雨のメール

所長がパソコンの画面と睨めっこしながら「ああん?」とか「はぁあ?」とか唸っている。そういう時は「『どうしたんですか?』と聞いてくれ」のサインなので、よっぽど忙しいとかじゃなければ極力「どうしたんですか?」と聞くようにしている。

「どうしたんですか?」

「いや、さっきメーカーからメール来たんだけど、『五月雨式のメール申し訳ございません』だって。なんや五月雨式のメールって?」

さみだれしき…?」

「絶対タイプミスやろ。ったく、メールくらいちゃんと見返せっちゅーねん。あいつ本当はなんて言いたかったんだろか?」

さみだれ… さみだれ… さ み…  はて、なんでしょう…?」

 

私たちは二人とも、「五月雨式」というビジネス用語を知らなかった。

しかしながら何をどう入力ミスして五月雨になってしまったのかまるで見当がつかず、「え、まさか、誤字じゃないパターンなの?」つってネットで調べたら、すぐに答えが見つかった。

 

「五月雨式に申し訳ございません」とは「物事が続いてしまい、申し訳ない」という意味を持つ言葉です。 日常会話で使われることはほとんどなく、ビジネスシーンのメールやチャットで多く使われます。 立て続けに連絡してしまったときなど、相手に面倒をかけてしまったときに使うのが適しています。

 

五月雨とは、旧暦5月頃(現代の6月頃)に降る長雨のこと。メーカーさんは、何度もメールを送ることを、梅雨時期にだらだら続く長雨になぞらえて謝罪しているらしい。

「お洒落ですねー!俳句の季語みたい!」と私。

「さすが、上場企業の営業マンはよう言葉知っとるわー。大したもんだ。」と所長。

二人でひとしきり感心してそれぞれの業務に戻ったものの、でも、ちょっとだけ思ってしまったのだった。ちょっとだけね。

 

相手を選んでメールしろよ、と。

 

いやだってね、うちの営業所なんてね、若い男性社員のことを「若い衆」(わかいし)て呼ぶような社風なのよ。

密告のことを「ちんころ」って言うような人たちなのよ。

真に仕事ができる営業マンというのは、相手のレベルまで自分が下りていける人なのではないだろうか。誰を相手にそんな雅(みやび)なメール送ってんのさ。風流気取りやがって。「度々申し訳ございません」でよくない?

 

こういう言い方はあれなんだけど、なんつーか、まぁ、職種柄?みたいな部分が大きいのかなーなんて思ってるんだけど、学校や書籍で得た正しい知識が通用しないどころかむしろ相手の神経を逆撫ですらしてしまうことが、ビジネスシーンでは往々にしてある。いまの職場では、特にある。そういう理不尽を回避するためには、常識はいったん捨て置いて、経験から蓄積されたデータを自身の脳内コンピュータで解析し、最適解を導くしかない。

たとえば私は状況や相手に応じて、「〇〇社長様」と表記することがある。

先方に「二重敬語やないか、こいつアホやな」と思われてしまうかもしれないリスクは(極めて低い確率で)あるけれど、「呼び捨てにしやがって、失礼なやつめ」と不快にさせるよりずっとマシだと思っているから。あと入社したばかりの頃、普通に所長に「様つけろ」って言われたからというのもある。ていうかほぼそれ。私の脳内コンピュータは、主に「所長の気分屋さん」対応に追われている。

 

先日、後輩の営業男子に

「取引先の社長とか部長とかに様つけるの僕気持ち悪いんすよね」

って言われた。

「ああ…まあね。でも私はもう慣れたよ。」

「慣れるとかそういう話じゃなくないっすか。明らかに間違いなのに。」

「おいそこの若いの、人生にはな、正しいことよりも、あえて間違っていることを選択する方が正しい場合があるんだぜ?」

「急に誰w だとしても僕は今後も社長に様はつけません。」

「若いの、そうしたいならそうしろ。おまえがそうすると決めたなら、貫け。」

 

ぶっちゃけ、「社長」か「社長様」かなんて、たいした問題じゃない。

「役職名+敬称は二重敬語になるので間違った日本語です。」というのは正しい知識ではあるが、見方を変えれば所詮知識のひとつでしかなく、私たちはすべての正しい日本語を網羅しているわけでもない。たまたま知っていた一片の知識に固執して正義を振りかざすよりも、相手の気持ちに寄り添うことの方が優先順位は高いはずだ。

ていうかそもそも、取引先の社長は書類の宛名部分なんて絶対気にも留めてないから。ひゃくぱー見てない。なんなら書類の中身もそんな見てない。いや、見ろ。まずはそのA4サイズたった1枚の説明書に一通り目を通してから電話してこい、あなたの知りたい答えはすべてそこにあるから。

 

ちなみにその後輩は「うる覚えなんですけど~」てしょっちゅう言う。

三度の飯かくらいうる覚えうる覚えうる覚え連呼するので、ある時たまりかねて「うろ覚えね」って訂正したら、

「あーはいはいそっちね、でも自分は今後も『うる覚え』でいくんで」

ってどや顔で返された。なんやそら。気持ち悪。

うる覚え」でも「うろ覚え」でもどっちでもいいんで、もうちょっと記憶力を鍛えてくれ。きみ、うる覚えが過ぎるのよ。

でもその日以降、彼の「うる覚え」が、なんか「うるぉ覚え」みたいな、「る」なんだか「ろ」なんだか聞き取りづらくなった。

 

あと、役職にどうしても様つけたいなら、二重敬語問題は「代表取締役社長 〇〇様」「営業部 部長 〇〇様」とすることであっさり解決しますから。