山下清展は、フィクションと現実の交差点だった。

「生誕100年 山下清展 百年目の大回想」に母と行ってきた。

 

山下清という人についての私の全知識は、「ランニングシャツにリュックサック姿の、いっつも線路歩いておにぎり食べてるおじさんですよね?行く先々でいざこざに巻き込まれては、貼絵のスキルと人柄で問題解決してあげてるんでしたっけ?」程度だ。

水戸黄門や、いやどちらかというと浅見光彦シリーズ的なノリに近いお決まりパターンで毎回エンディングを迎えていたような記憶がうっすらある。

そう、芦屋雁之助さん演じる、『裸の大将』である。

私が朧げながらもなんとなく知ってる気になっているのは、フィクションの方の山下清だ。

 

 

今回初めて本物の方の彼の作品を目の当たりにして、

「姪っ子(7才)の絵みたいだな…」

というのが、率直な感想です。

 

子どもが描く絵のタッチには、大人には絶対に真似できない味わいと愛らしさ、時に大胆さがある。山下清の作品は、「そういう子ども特有の絵を、子どもらしさはそのままに、めっっっちゃめちゃ緻密に精巧にブラッシュアップしたらこうなりました」みたいな印象だった。

画風が、なんともかわいい。

そして描写が細かい。気が遠くなりそうなほど、細細細細細細細細細細かい。

この人は、幼い子どもの感性のままただひたすら何十年も絵を描き続けたせいで、常人ではありえない「超絶技巧の子どもの絵」に到達したのだろうか。それともそもそも持ち合わせていた類稀な感性と技術は最初から既に完成されており、進化を遂げることはなかったのだろうか。

にわかの私にはその辺りのことはよくわからない。ただ実際の山下清は放浪先でスケッチをするようなことはなく(そしてランニング姿でうろうろしてもおらず)、作品のほとんどが放浪を終えて施設に戻ってから記憶だけで描いたものだというので、天才であったことは間違いないのだろう。

彼はその驚異的な記憶力で、何年も前に描いたのとまったく同じ絵を描くこともできたそうだ。怖いな、と思った。何年分も、あるいは何十年分も、もし全部の記憶がまるごと当時のままの感情、感覚を伴って細部まで蘇るのだとしたら、それはとてつもない恐怖だ。

 

山下清のリュックサックの中身は、茶碗2つ(ごはん用、汁物用)、箸、手拭い、着替え、犬に吠えられた時の護身用の石ころ5つのみだったらしい。

なんて身軽なの、と憧れる一方で、チョイスおかしない?という気もする。

茶碗、要る?食事は(おそらく)どこかの誰かに頼る前提で、なのに器だけ自前とか何のこだわりよ?茶碗、地味にかさばりそうじゃない?まさか陶器(割れ物)じゃないよね?私なら食器よりもスマホと財布を持ってくな。スマホ、充電器、財布、タオル、着替え、護身用の石ころ5つ。おっけー、準備万端。着替えを何日分用意するかは清と相談したい。「どうするー?ホテルで洗濯できるよねー?アイロンて貸してもらえるんだっけー?」つって。

 

「でも、いい人生よね」と、旅をして絵を描いて生きた山下清のことを、母はそう評した。

そうなのだろうか。突出した才能には、同時に、誰とも共有しえない孤独みたいなものがつきまとう。彼のことを理解し、評価してくれる人はいても、同じ世界を見られる人はいなかったのではないか。

わかる、そうだよね、って同じ感性で分かち合える誰かがいないのは、寂しい。

 

盛況の山下清展で、特に来場者の目を引いていたのが『長岡の花火』だった。

入場券やパンフレットにも使われていたので、きっと彼の最高傑作のひとつに数えられる作品なのだろう。実際すごかった。

「これは……すごいな」

すぐ右隣で中腰の姿勢で絵を覗き込んでいたおじさんが思わず声を漏らし、

「すごいですね」

って私も同調した。

顔を見合わせて、おたがいにぎこちなく笑った。

自分の死後、自分の作品を前にして、知らない他人同士が言葉と笑顔を交わす。

やはり彼の人生は母の言うように「いい人生」だったのかもしれない。そう思わされた瞬間だった。

 

山下清展を出たのは15時過ぎだった。

1時間もいたね、すごいね、疲れたね、と母と言い合った。

エディオンの福引券あるからイオンに行きたい。」

と言う母につきあって、イオンへ。福引は2回引いて、2回ともハズレだった。

それもまた、いい人生なのかもしれない。

 

 

そういえば小学生の頃、祖母の家にお泊りしていた夜、全然眠気がやってこない布団の中で「もし自分以外の誰かになれるとしたら」と悶々と考えていたことがあった。

私には特別な才能は何もない。勉強の成績は普通だし、運動神経もよくない。かわいくもない。髪がくせ毛なうえに剛毛で、いつも頭がもじゃもじゃなのをクラスの男子にからかわれることが、当時の最大の悩みだった。

クラスで一番かわいいあの子になれたなら、みんなから人気者のあの子なら、いっそのことトップアイドル歌手のあの人なら……色々想像を巡らせたけれど、考えながら、けれどもし自分が別の誰かになってしまったら、自分の心はどこに行ってしまうのだろう?という疑問にぶち当たったのだった。

「わたしの思考が消えちゃうのはいやだから、わたしはわたし以外の誰にもなりたくないな」と明確に自覚したその日のことを、山下清展の帰りにふと、思い出した。