メイちゃん(姪っ子)が幼稚園の頃の話。
メイちゃんがアンパンマンのアイスクリームやさんセットを広げて「アイスクリームやさんごっこしようよ~」と言うので、持てるアドリブ力を駆使して「わあ、こんなところにアイスクリームやさんがあるー!きゃほー!」とすぐさま対応した。
「きょうおーぷんしたんですよぅ」と嬉しそうなメイちゃん。
「そうなんですね!じゃあ…チョコレートください」
「チョコレートはないんですよぅ」
「えっ…そうなんですか?じゃあバニラください」
「バニラもないんですよぅ」
「(なんか思ってたんと違う…!)じゃ、じゃあ、あるやつ何でもいいんでください」
「なんにもないんです。このおみせ、きょうへいてんなんです。」
「え、だって、今日オープンしたんですよね?」
「はい…でも…」と視線を落とし、深いため息をつくメイちゃん。
「『ころな』なんで…」
なんということでしょう。
コロナ禍が、幼児のごっこ遊びにまでも暗い影を落としている。
思えば、「かあか」「とおと」「あっこ」(※抱っこ)「ぱいぴっぱー」(※バイキンマン)と、世界のすべてを3文字プラスαで表現し尽くしていた彼女がある日突然発した長文は、「しんがたころなかんせんかくだい」だった。
メイちゃんがこの世に飛び出してきたばかりの頃、ほんの数年先の未来がこんなことになっているなんて、一体誰が予想しただろう。
まだたった4才の彼女の未来には、この先もっといろんなことが待ち受けているのかもしれない。けれどどんな時代を生きようとも、健やかで、楽しい人生を歩みますように。すべての厄災が一切彼女に降りかかることがありませんように。あと私も生涯ぬるま湯人生を過ごせますように。(何卒!
5才のお誕生日プレゼントには、プリキュアのメイクセットが欲しいというメイちゃん。え…あんなアンパンマン一辺倒だったメイちゃんが?メイクだなんて、いつのまにそんな大人になっちゃったの?
そんなある日、彼女の母親(私の妹)が
「この間イオンでメイちゃんのワンピース買ったんだけど、最初は喜んで着てたのに、なんか急に幼稚園に着ていきたくないって言いだしたんよ。「お母さんはすごくかわいいと思うけどなー」ってなだめすかしても、「やだ!」の一点張り。よくよく聞くと、「〇〇ちゃん(幼稚園のお友達)にその服へんって言われた」だって。」
い ち だ い じ (一大事) じゃないの! !
幼稚園児にとって、他の園児は外の世界のほぼすべてであり、絶対的な価値基準なのだ。
全世界(いち園児)からアイデンティティ(イオンのワンピース)を否定されて、笑い者にされて、どれほど恥ずかしく、どれほど悔しかったことか。
「本人にしてみれば深刻なんだろうなって、気持ちはわかるんよ。でもメイちゃんには、誰かがこう言ったからとかじゃなくて、自分軸で生きてほしいなって思う。」と妹。
「子どもの頃って、母親よりも友達の意見が正義だったよね。」
「そうそう、正義っていうか、判断基準っていうか。はるかに重かったね。」
「集団生活で生き抜くための自衛みたいなもんだったんかも。母親には逆らっても何しても最終的には許してもらえるっていう、根底に安心感があるけど、友達はそうはいかないから。」
「足並みそろえて、浮かないように、はみ出さないように。」
「わー、なんか日本人ぽいー!外国人のことなんて知らんけどー!」
ともあれ、こんな時にメイちゃんにどんな言葉をかけてやればよいのか、妹と案を出し合った。
案①
「メイちゃんはこのワンピースが好き?嫌い?〇〇ちゃんじゃなくて、メイちゃん自身の気持ちを大切にしてほしいな。」
案②
「人はいろんな理由で時々嘘をついちゃうことがあるんだよ。メイちゃんも、本当の気持ちじゃないことをお友達に言ってしまったことってない?もしかしたら〇〇ちゃんも、本当はかわいいって思ったのに、つい意地悪を言ってしまっただけかもしれないよ。」
案③
「試しに『え、これめっちゃかわいいやん?〇〇ちゃん、このかわいさわからんの?本当に?マジで?いや、センスwwwwwww』って小馬鹿にする感じで言ってみて。強固な意志で貫き通したら、絶対勝てるから。」
案④
「このワンピースが『かわいい』か『かわいくない』か、じゃんけんで決めまーす!最初はグー!ジャンケンポーン(チョキ)!(メイちゃんは必ずパーを出すので)はいチョキの勝ちー!『かわいい』に決定しましたー!」
色々考えたけれど(個人的には④がオススメ)、結局のところ大人がどんな解決策を提示したところで4才児は納得してくれないんじゃないか、という結論に至った。
とりあえずは、折衷案くらいがいいんじゃないかと。
「そっか、じゃあこのワンピースは幼稚園には着て行かずに、お出かけ用にしよっか」とか。
子どもでいる期間より、大人になってからの人生の方がはるかに長い。
そして今となれば一度きりのまばたきみたいに短かった子どもの世界は、大人の世界とはまるで別物だったような気もする。
妹や私にとっては「自分軸」が正解でも、果たしてそれが必ずしも現段階のメイちゃんにも当てはまるだろうか?
……自分軸で生きる大切さを大人になって身に染みて知るのは、他人軸で苦労した子ども時代の苦い記憶があってこそなんじゃないかと思ってみたり、いや大人になった今だって、自分を殺して周囲に迎合した方が楽な場面っていっぱいあるよなと思ってみたり。
そして、ふと、思い当たる。
ワンピースをお友達にへんって言われたメイちゃんの悲しい気持ちを、私は自身の痛みとして知っている。彼女がたったいま立っているその場所は、かつて、何十年も昔、私が通過した場所だ。誰もが通過する場所だ。
それはワンピースではなく、手さげ袋だったかもしれない。傘だったかもしれない。あるいは、ヘアピン。消しゴム。ノート。シール。
大好きなお母さんが私のために選んでくれて、かわいいねって喜んでくれたのに。それをへんって言われて、お母さんが傷つけられて、お母さんがかわいそうで、あの日私はどうしようもなく悔しくて悲しかったんだった―。
「一番手っ取り早いのは、しまじろうさんがそれっぽいことちょちょっと言ってくれたらいんだけど」と妹が言う。
なるほど。
毎月彼の教材が妹宅に届いているんだけど、知育おもちゃの進化っぷりと、しまじろう(教祖)の幼児の求心力には驚かされる。
「しまじろう:『メイちゃん!自分軸で生きてたら自ずと本当の友達ができるよ!』とかね。」
「あと、メイちゃん!別に友達なんていなくても生きていけるよ!て言ってくれんかな」
「さすがに無理やろ、それ絶対しまじろうが言わんやつやろ」
と笑いあった。