どちらのでもないヤマダに思いを馳せて、、

「ヤマダと申しますが、( (所長) )様おられますでしょうか」

日中、ヤマダと名乗る男性から所長宛に電話があった。ディスプレイに表示された番号は、携帯電話からのものだ。

「申し訳ありません、( (所長) )は、ただいま外出しております」

「では折り返しご連絡いただけますでしょうか」

「失礼ですが、どちらのヤマダ様でしょうか」

「番号と併せて、名前のみお伝えいただければ結構です」

「…かしこまりました」

 

人にはそれぞれ事情がある。

たとえば以前勤めていた職場では、会社名を伏せて姓だけを名乗り「◯◯◯◯さんいらっしゃいますか」とフルネームで指名する電話は、消費者金融からの借金返済の催促だから詳細は聞かずに取り次ぐよう言われていた。特定の個人1人だけに対しての事情だけれど。

たぶん、うちの所長には、借金はなさそうだ。(知らんけど)

ただ、所長も一般的な定年の年齢にさしかかっているので、退職して「どちらの」でもなくなったヤマダさんという同年代の知り合いがいることも十分にありうる。や、でも、いまのは違うな、そういうんじゃないな。会社勤めを終えたからといって、人は社会的な属性をまるっきり失うわけではない。彼らは何かしらを引き合いにし、自らを証明する。桜木町の小田です、とか。そしてそういう人たちの口調は総じてくだけている。ヤマダのあの形式ばった声の感じは、がっつり現役だ。

 

受話器を置いて、ネットを開き、090-××××-××××と打ち込んでみる。

ヒットした。電話番号検索サイトに、いくつかのクチコミがあった。

 

「会社名を聞いても答えず。用件を聞いても直接でないと話は出来ないの一点張り」

「要件を聞いても山田と申しますの回答」

「会社名等名乗らず、山田のみ」

「迷惑」

「この世に何人ヤマダがいると思っているのか」

 

どうやら、伝言メモを残す必要はなさそうだ。

 

「事業者名: 求人広告・人材紹介営業【注意】」とある。

うちでもちょうど求人を出しているので、そういう何かで所長の名を知ったのかもしれない。

アクセス数は、537回。

アクセス推移グラフによれば、2024年1月以降、激増している。

仕事中に不審な電話を受けてすぐ番号を検索する人のパーセンテージがどのくらいなのかは不明だが、限られた一部の(暇な)人だけなんじゃないかという気がする。少なくとも、電話を受けた誰もがもれなく全員ここを見にくるなんてことはありえないだろう。

つまりヤマダは、2024年1月以降、537回~上限未知数の回数、適当な企業に電話をかけ続けているのだ。ヤマダが一人なのか複数なのかもわからないけれど、なんとなく、ブラックな環境を想像してしまう。

ていうか…

 

「ヤマダ」もどうせ本名じゃないんだろうな…

 

もしかしたら、彼の本当の名は早乙女さんだったり西園寺さんだったりするのかもしれない。せっかくの美しい名字を封印しなきゃならないなんて、もったいない。

いや、小鳥遊(たかなし)さんとか月見里(やまなし)さんとか四月一日(わたぬき)さんとか九(いちじく)さんとかの可能性もある。

御手洗(みたらい)、温泉川(ゆのかわ)、太公望(たいこうぼう)、へー、宇宙とか大王とか無敵なんて名字もあるんだー。いや左衛門三郎(さえもんさぶろう)てすごいな!武将か!下の名前とどうやってバランスとるのよ!なんと、浮気さん、二股さんなんて人もいるらしい。なんかややこしいことになりそうな名前だわー。はっ、「珍しい名字」で検索してたら楽しくなっちゃってた…何の話でしたっけ…

 

そうだ、ヤマダ(仮)だ。どうかヤマダの日々の業務が、善良な誰かあるいはヤマダ自身の日常を脅かすものではありませんように。入口が若干不透明なだけで、中身を知ってみれば実はどうってことのない普通の事業内容でありますように。そしてヤマダが本名でありますように。

 

祈りを込めて電話番号検索サイトは閉じ、そのまま流れでYahoo!ニュースを開いた。静岡県の知事辞職のニュースが目に入った。そっか、辞職したんだ。

先週だったか、仕事帰りにたまたま見た夕方のニュースでこの人を知った。リニア?だかでどうも以前から話題に上がることのあった人ぽいけれど、まったく知らんかった。世情に疎い。

新規採用職員への訓示で「毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、皆様方は頭脳、知性の高い方たち」というような発言をしたらしい。偏った選民意識もさることながら、リスクマネジメントのなさにも驚かされる。知能が高い人であれば、自身のその発言がどういう結果をもたらすかくらい予見できそうなものだけど。

(あと気になったんだけど、「モノを作ったり」て、何?職種の範囲広すぎん?家具職人、靴職人、革職人、大工、とび職、建築士、板金工、溶接工、組立工、CGデザイナー、ゲームクリエイター、小説家、絵本作家、陶芸家、映画監t…キリがない!)

彼の発言を受け、番組は早速「野菜を売る人」の元へとインタビューに向かっていた。こう言う時のマスコミのフットワークの軽さよ。

『傷つくというよりは、 …怒りですよ』

『職業差別ですよね… 許されない発言だと思います』

マイクを向けられ、一様に怒りや悔しさを滲ませる八百屋のご主人達。

けれど私は、知事のトンデモ発言よりも、八百屋さんの意見を聞いた瞬間の方がなんだか残念な気持ちになってしまった。

相手の失言なんて、自分をアピールする好機でしかないのに。

まともに喰らってどうすんの。

にっこり笑って「そういう知事は、鮮度の良いキャベツの見分け方をご存じですか?小松菜は?ナスは?オクラは?旬の野菜の効能は言えますか?大根を長持ちさせる保存方法は?ニンジンの栄養価を損ねない最強の食べ方は?まあこんな常識問題、我々でもわかるんだから知能の高い知事なら余裕っすよね」くらい言い返してほしい。

せっかくテレビが来てくれたから、どさくさに紛れて店の宣伝もしちゃえばいい。明日は春キャベツとアスパラガスが大安売りだよー!是非ー!つって。きっと番組の趣旨に全然沿ってないから全カットになるだろう。

 

たとえばもしも、『大谷翔平が1億円を寄付』というニュースにホームレスの人が「たった1億かよ、大谷しょっぼ」と言ったとしたらどうだろう。「誰が言うとんねん」と嘲笑われるだけで、誰も傷つきも怒りもしない。いや、怒る人はいっぱいいそう(主にヤフコメあたりに)、でもやっぱりその怒りは、テレビ越しに見た八百屋さんの静かな怒りとは異質のものだ。

誰かに否定された時、怒りの中に痛みや悲しみが含まれる場合がある。そういう時って、意識下に微量の迷いや劣等感みたいなものが混ざっている時なんじゃないかな。そこを刺激されると、感情が溢れる。

どうか、傷つかないでほしい。

自分の人生に無関係な他人の馬鹿げた言動に、いちいち心を乱されないでほしい。

農業も畜産もモノづくりも、国民の生活に不可欠な重要な仕事だ。

野菜作りなんて、技術の進歩とか品種改良とかでめちゃめちゃ進化してそうだ。たしかブロッコリーって品種改良でできたやつなんだっけ?トマトだって、もはやフルーツみたいなのとかあるし。そして八百屋さんは日々、気温や天候や客足やいろんなことを考慮して、店頭に野菜を並べているのだろう。長年培った経験と知恵で。

そんなクリエイティブな仕事に携わり、日本の食文化を支えていることに、自信と誇りを持ち続けていてほしい。

 

 

と、自分の仕事に誇りなんて微塵もなく、日がな一日迷惑電話の番号やら珍しい名字やらネットニュースやら眺めてぼんやり過ごしているだけの私が、えらそーに語ってみる。

あともちろん、だからって何を言われても笑って聞き流せと言いたいわけではありません。傷つかないことと、無責任な発言に冷静なジャッジを下すことは、まったく別の話です。